開拓先人『屯田兵』
人跡未踏の地であった蝦夷地は、明治新政府にとっても南下政策をとる対ロシアからの防衛の観点からも、防衛と開拓は一刻も早く推進しなければならない課題でした。 明治維新で新政府が発足、蝦夷地は明治2年太政官公布により『北海道』と名付けられました。
北海道開拓を急ぎ同時に国防の必要性を説いた黒田清隆の発意により明治7年屯田兵制度が施行され、翌年から札幌周辺を中心に屯田兵村が展開され、全道に拡げられ37カ所の兵村(26町村)が設置されました。
明治8年~同37年 4337名、家族約4万人が入植 永山兵村、明治24年 旭川兵村 明治25年、当麻兵村 明治26年各入植