屯田兵のくらし
入植に当たって屯田兵を戸主と呼び、その他を家族と称しました。 一人の屯田兵と家族には、1世帯1町5反歩(15000坪49000㎡)の開拓用地(未開拓)があてがわれました。 住宅には、17.5坪の『兵屋』といわれる住宅が用意され、最低限の農機具や生活用具、寝具まで支給されました。 入植から3年間は、扶助米、塩菜料が支給されました。 旭川兵村(東旭川村)の場合、一体が密林地帯で、樹木の伐採と同時に伐根という重労働が待っていました。 水はけの悪い地質から、畑作は無理と早くから当時禁止されていた米作を目指し、用水路の整備を進めました。 生活は、戸主は朝6時ラッパ集結、午前中厳しい軍事訓練に励み、午後は開墾、家族は夜明けから日が暮れるまで開拓に従事し、開拓作業を支えました。 中隊事業として、開拓当初教育のための学校の設置と、村祭りの実施のため神社の造営を決議し村づくりを進めました。