米作りへの執念『上川百万石の礎』
灌漑溝
上兵村では、水はけの悪さから排水路の整備と称して灌漑用水路208間(380m)明治27年11月完成、明治34年、下兵村では。忠別川より導水難波田川に通じる水路が完成
村全体に水田熱が高まり明治末期、7800間(およそ14キロ)を整備、三千町歩の水田により6万余石(24000俵)を生産した。
たこ足
明治38年10月特許取得、末武安次郎考案、黒田梅太郎製作『黒田式直播機』と称し販売した。寒冷地での耕作期間の短い本道で、水にうるかした種を直接反歩に巻く方法が一般化したが、規則的に播くために開発され、北海道のみならず遠く中国北東部にまで伝わったと言われている。