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- 2021.03.19
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館長からのごあいさつ
近代日本を考える上で、北海道の開拓は東アジアの版図を確保する上でも不可欠の事項であり、食料自給という永年の命題克服にも大いに貢献した事実を忘れることは出来ません。 その北海道開拓の尖兵として、国土防衛と殖産興業の両面を担い近代北海道の礎として汗を流し生涯を捧げた人々の心を、あるべき形で伝えていく、それは何時の時代であっても生まれ育った故郷の姿、あるいは繁栄する我が国を支える柱にふれる場所として多くの使命を背負っています。 学校での学習のみならず親子家族との交流の場として、故郷の来し方を学ぶ機会として頂ければ、泉下の先人達も喜ばれるのではないかと思います。
一般財団法人旭川兵村記念館
館長 芦原 髙穂
設立の経緯
昭和35年、屯田兵村を発祥の由来とする旧旭川兵村、東旭川町は旭川市との合併を前に、屯田開拓の歴史を後世にと『東旭川町史』を刊行しましたが、昭和37年合併自治体としての東旭川町は旭川市に吸収されました。 時代が変遷し、郊外であるこの地域は住宅団地として急速に人口を増やし、発展していきますが、開拓の歴史を語る人も少なく、残された人々に歴史の散逸に対する危機感が芽生え、特に町史編纂から関わった旭川神社宮司芦原嚴夫氏は、境内旧社殿をつかってささやかながら資料展示を始めました。 昭和53年、施設の狭隘と木造であることから耐火への懸念が博物館関係者より寄せられ、耐火性のある本格的施設の建設に迫られました。 幸い当時東旭川町農協の組合長であった橋場正一氏が中心となり東旭川町全域の協賛を集め、北海道、自転車振興会などに働きかけ、そして地元旭川市板東徹市長の大英断により、昭和56年財団法人旭川兵村記念館を設立、工事も順調に進み昭和57年博物館相当施設として、開館することが出来ました。